1943年4月1日に東葛飾郡松戸町・高木村・馬橋村が合併して松戸市が誕生して今日でちょど80年を迎えます。少し松戸の歴史を振り返ってみましょう。
- 1989年4月1日:町村制施行に伴い、東葛飾郡松戸町・東葛飾郡明村・東葛飾郡八柱村・東葛飾郡馬橋村・東葛飾郡高木村・東葛飾郡小金町成立。
- 1933年4月1日:東葛飾郡松戸町・東葛飾郡明村が合併。
- 1938年4月1日:東葛飾郡松戸町、東葛飾郡八柱村を編入。
- 1943年4月1日:東葛飾郡松戸町、東葛飾郡馬橋村・高木村と合併、松戸市発足。
- 1954年9月1日:東葛飾郡柏町・土村・田中村・小金町が合併、東葛市発足。
- 1954年10月15日:東葛市より旧小金町の大半が松戸市に編入。
- 1956年4月1日:東葛飾郡沼南村の一部(高柳・高柳新田)を編入。
1943年に松戸市が誕生した当時は人口約4万人。その後、交通網の発達や公団住宅の建設を経て東京のベッドタウンに。現在では約50万人の住む大都市となりました。
僕の家系は高木村・小金町・八柱村などにルーツをもつ農家の家系で、松戸市農家組合にも入っていました。父方も母方も祖父母のメインバンクはもちろん松戸市農業協同組合(現在のJAとうかつ中央)。両親は元農協職員です。
今では市内の農地は区画整理などによって住宅地となり、我が家も高度成長期に離農。祖父は三男ですから、染物職人をしながら購入した農地で兼業農家をしていましたが、田畑は区画整理で大幅に縮小・配置換えされ、農業ができなくなくなってしまったのです。区画整理後に残った土地を再度開墾して自家栽培用の畑として維持はしましたけれども、出荷はしませんから固定資産税がかかるだけ。すでに相続で一部は手放しました。僕の代には自宅以外は残らないことでしょう(相続税払えるかしら)。
僕の小さい頃は、近所でも農家が何件かありました。ポツンと何件かある集落でしたが、どこの家も相続で手放したのでしょう、建売住宅の並ぶ住宅街となっています。中には大地主でアパート経営をしている家もありますが、祖父母は借金してまで不動産収入を得ようという考えは持っていなかったようです。
国鉄常磐線と流山電鉄しかなかった鉄道も、新京成電鉄、国鉄武蔵野線、北総開発鉄道が開業。東京に近いこともあって、団地の開発が進みました。北松戸工業団地・稔台工業団地・松飛台工業団地の発展も手伝って大きな街となりました。
伊勢丹松戸店の撤退で市内からは百貨店が消え、昔ながらの商店街もほとんど姿を消すなど、商業地としては衰退傾向にあります。百貨店やショッピングモールの多い柏市や流山市の方が便利なこともあるでしょう。
僕もこの街で生まれ育ったのでなければ、あるいは江戸時代初期から続く家に生まれなかったら、松戸市に住んではいないと思います。東京の大学に通うのは不便でしたし、ずっと大学の研究室に籠もる生活をするには、殺人的な通勤ラッシュは辛く、奨学金を多く借りて大学近くに下宿したのでした。
それでも北部市場の跡地にテラスモール松戸が開業、新松戸駅東口の再開発や千駄堀地区に新駅が計画されるなど、これからが楽しみな土地でもあります。
僕が老人になる頃にはどのような町並みが広がっているのでしょうか。このサイトでは、総州葛飾郡の田舎町に過ぎなかった松戸市周辺の今までとこれからを見守っていきたいと思います。
コメント