三越伊勢丹ホールディングスの運営する「伊勢丹松戸店」が今日2018年3月21日、約44年間の歴史に幕を下ろした。1974年4月19日に開業した伊勢丹松戸店は、扇屋や奈良屋といった百貨店が松戸から撤退する中、長崎屋松戸店の跡地に「新館」をオープンし増床。松戸市唯一の百貨店として市民に愛されてきた。
日本経済新聞によると、増床後の90年代半ばに記録した300億円の売り上げは200億円を下回り赤字に転落。店舗の一部のフロアに松戸市役所の施設を移転するなどして営業継続を模索してきたが、昨年2017年9月の松戸市議会でこの案は否決された。1 三越伊勢丹ホールディングスは三越千葉店(千葉県千葉市)や三越多摩センター店(東京都多摩市)を閉鎖するなど、郊外店の撤退を加速しているようにも思える。
伊勢丹松戸店の歴史は松戸駅前再開発の歴史
伊勢丹松戸店の誘致は松戸駅西口の再開発の歴史でもあった。伊勢丹松戸店の入居する「松戸ビルヂング」は1974年の竣工。高度成長期に東京のベッドタウンとして人口が急増した松戸市は、市街地の整備を進める必要があった。
現在松戸ビルヂングが建っている場所には当時「松戸市立中部小学校」があり、これを郊外に移転させることによって再開発の土地を確保したのであった。大手百貨店「伊勢丹」の誘致は松戸市民の悲願だったとも言える。以来約44年間、伊勢丹は松戸市のシンボルであり続けた。
上野から常磐線に乗って江戸川に差し掛かったあたりで見える伊勢丹松戸店。「東京から地元に帰ってきた」と思えるような、そういう存在。少なくとも僕にとっては、伊勢丹松戸店は松戸市を象徴する建物の一つだった。
伊勢丹抜きで西口の都市開発ができるか
高度成長期の再開発の中心であった伊勢丹松戸店。松戸駅西口の都市開発は伊勢丹を中心に行われることになる。ダブルデッキを出ると伊勢丹へと向かう道路に沿って商店がひしめき合う。
駅に直結していないのが悪かったのかもしれないが、ほんの数分の距離。銀行や証券会社、商店などが伊勢丹へと向かう道路に並んでいる。
かつて都市計画の中心であった伊勢丹が撤退したことで、松戸駅前の再開発事業は振り出しに戻ったのではないだろうか。それだけ、欠かせない存在だった。
近隣店舗も感謝の横断幕
伊勢丹松戸店の撤退を受けて、アトレ松戸店(旧ボックスヒル松戸店)にはこのような横断幕が掲げられていた。
「伊勢丹松戸店さん43年間ありがとう」
プラーレ20歳! アトレ6歳!
もっと もっと がんばります!!
ボックスヒル松戸店がアトレに転換してもう6年経つのかというのと、松戸駅東口のシンボルのプラーレがまだ20年しか経っていないのかという思いが交錯する。
松戸駅前の今後
松戸駅周辺に残っているのは、これでダイエー松戸西口店、アトレ松戸店、プラーレ松戸・イトーヨーカドー松戸店だけとなる。48万人を超える人が暮らす街の中心部から百貨店が消えるというのは非常に大きな問題だ。不景気でお財布事情がさみしい中、新たに百貨店を誘致するというのは非常に難しいだろう。松戸ビルヂングを所有する三菱地所は、どのようなテナントを入居させるのだろうか。
松戸市中心部の新たなシンボルとなる店舗であってほしいと願ってやまない。
脚注
- 「伊勢丹松戸店が来春閉店 市の支援見送り響く」(日本経済新聞電子版) ↩
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